はじめに
  「凧の世界13 世界最初の立体凧は日本の行燈凧か」に関連
  ある「行燈
凧」や「飛行機凧」にも触れている幸田露伴の文章
  が見つかっているので
幸田露伴の第2回として紹介します。
  
幸田露伴は遊びの名前としては「紙鳶」、ものの名前としては
  絵凧、字
凧、やっこ凧など「凧」と使い分けていたように思わ
  れます。この文章
は明治時代の最後になる明治45年に雑誌
  「新日本」に掲載されたもので
すが、この内容とおおむね
  7割位は類似する内容で、文体を文語体に代え
た形の文章が、
  昭和5年の発行の本山桂川編「紙鳶図録」(日本民俗研究
会が

  民俗研究第十八輯として発行)に「紙鳶の賦(序に代えて)」
  という
タイトルでも書かれています。
    出典の書名:「紙鳶の今昔談」幸田露伴
      雑誌「新日本」明治451月号 所載
      出版年月:1912.1

     巌谷小波(いわや さざなみ):明治366日~
                       昭和895

         明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人で、
      明治20年に文学結社の硯友社に入り、尾崎紅葉らと交わる
      が、後に児童文学者へ転進し、お伽噺を開拓に係わり、今
      日有名な『桃太郎』や『花咲爺』などの民話や英雄譚の多
      くは彼の手によって再生されています。「頭を雲の上に出
      し」で始まる文部省唱歌『ふじの山』の作詞者しても知ら
      れ、他にも『一寸法師』も巌谷小波の作詞です。
           出 典:昭和初期に白根大凧合戦を見学した際に纏め、
      昭和37月に週間朝日に掲載されたもので、日本民俗
      研究会が民俗研究 第十八輯として纏めて本山桂川の
      編集で「紙鳶図録」のタイトルで日本民俗研究会発行
      の図書にもなりました。
   淡島寒月:1859年(安政6年)1117日~1926年(大正15年)
     2
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      明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。広範な知識を
   持った趣味人であり、元禄の作家井原西鶴を再評価
し、幸田
   露伴や尾崎紅葉など文壇に紹介したエピソードで有名で
ある。   収集家としても有名であり、住居の梵雲庵には3,000あまりの
   玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、関東大震災の際に
   全て焼失した。

  出典の書名:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
      出版年月: 1999年(平成11年)818

          初出:『趣味之友』25号 1918年(大正7年)1

4.巌谷小波の「白根大凧合戦見学記」

昔の資料による凧の話

幸田露伴:1867年(慶応3年)822日~1947年(昭和22年)730

       幕末の慶応3年生まれであり、紙鳶遊びをしていた少年
       時代は
明治10年代と思われる。

出典の書名:作家の自伝 81(幸田露伴)

     監修:佐伯彰一、松本健一

     出版:日本図書センター

     出版年月: 1999.4

昔の作家のエッセイなどで語られている凧について紹介します。

昔の凧事情などを知る上で役立つでしょう。

表記は読みやすいように現代のかな表記に修正してあります。

見出しをクリックすると該当の凧の話が表示されます。

3.淡島寒月の「凧の話

1, 幸田露伴の「紙鳶(たこ)遊び」

2.幸田露伴の「紙鳶の今昔談」